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help リーダーに追加 RSS 今木神=百済聖明王

<<   作成日時 : 2005/05/05 06:38   >>

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京都に平野神社という神社がある。桓武天皇が平安遷都と共に創建し、皇室の崇拝を集めてきた神社である。この神社の祭神は四柱あり、今木神、久度神、古開神、比売神を祀っている。このうち比売神は9世紀になってから祀られたようで、創建時祀られていたのは三柱だった。
これらのうち今木神は「皇大御神(すめおおみかみ)」と呼ばれている。『延喜式』によれば「皇大御神」と呼ばれる神様は、天照大神と春日神とこの今木神だけであるという(歴史読本2003・10月号)。また久度神と古開神は「皇御神」と呼ばれている。共に皇室の祖先神として扱われているわけだが、天照大神は記紀の記述から祖先神であることは明白であるし、春日神は藤原氏の祖先神で、平安時代にはそれが皇室の母方の祖先神として敬われていたことがよくわかる。
では記紀にも載っていない、今木神、久度神、古開神とはいったいどんな神様なのであろう?

実はこの神様たちは百済の王というのがその正体である。今木神とは百済の聖明王のことであり、久度神は百済の仇首王のこと、古開王とは百済の開祖・沸流王のことである。これら神様はもともとは百済系渡来人によって祀られており、光仁天皇が即位するの及んでその田村後宮において桓武天皇とその生母の高野新笠が祀っていた神様であった。高野新笠は和氏(やまとし)出身で、この和氏が百済系渡来氏族であった。したがってこれら神様は桓武天皇の母系に繋がっている。

ところが、和氏は『続日本紀』や『新撰姓氏録』では百済の武寧王の子孫と称しており、仇首王や沸流王には繋がるが聖明王には繋がらないのである。聖明王とは武寧王の子供で「武寧王の子孫」という場合は聖明王とは別の兄弟の子孫ということである。ではなぜ聖明王を「皇大御神」として祀ったのだろうか?

本当は聖明王は高向王に繋がっているのではないか?そして漢皇子=天智天皇を通じて桓武天皇に繋がっているのではないだろうか?桓武天皇という人物は天智系であることを非常に意識した天皇であり、また自分に百済王族の血が流れていることを非常に意識した天皇である。その百済王族の血は母親の高野新笠を通じてもあるのだが、同時に父方の天智天皇を通じてはなかったのか?今木神が必ずしも高野新笠とは繋がってないところをみると、その可能性はないとは言えない。

この今木神はまた五穀豊穣の神様ともいわれる。さらにその原型を尋ねると水を司る神様といわれる。奈良県川合にある広瀬神社は竜田神社とセットで天武・持統天皇の時代に尊崇されたことが『日本書紀』にみえる。竜田神社には風の神である「シナガツヒコ・シナガツヒメ」が祀られているが、この「シナガ」は「息長」である。一方広瀬神社の神は「大忌神」と言いまた「水足明神」とも言って水の神様である。この「水足明神」は「今木の里」に降りてきた伝承を持つ。竜田・広瀬の神は夫婦神であるという説もあり、天武が「息長氏」であるなら持統が「今木=百済王族」であるとも捉えられる。二社がセットで祀られたのはそういう意味ではなかったか?(平林章仁氏;『七世紀の古代史』より参照)

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